2016年7月16日土曜日

【 原作で読もう!真田丸 】 切腹直前?! 豊臣秀次さまの死の真相はどうなるの?! 原作ではどうなってる?

 こんにちは


 いよいよ、ちょっとにやけなお兄ちゃん。豊臣秀次関白が、大変なことになる回が近づいてきました。


 ああ!放送前に書いているので、三谷さんの脚本ではどうなっているのかわかりませんが、関白殿下が出奔して前回は終わったので、たぶん。



 7月17日の回で、死んじゃうんだろうな!!!


と思ってドキドキです。





 そんなこんなで、関白秀次さまの死の真相を解き明かさないと「きりちゃん」も浮かばれないので、調べてみました。



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 一般的には、実子「拾ひろい」が生まれてから、甥っ子の秀次は疎んじられて切腹させられたということになっている秀吉と秀次の関係ですが、



 NHK大河真田丸では、二人のボタンの掛け違いや思い違いがどんどんひどくなってゆく



様子で描かれていました。



 なので、先週の放送でも、



「全面的に秀吉がひどかったり悪いわけでもなく、あるいは秀次も良かれと思っていろいろ頑張るんだけれど、結果としてすれ違う」


感じでドラマが進んでゆきましたね。





 ところが、近年の研究では、今回のドラマでもそれっぽく描かれていますが、


「秀次、早まって自ら切腹したのでは説」


というのがあるそうです。


 ☆国学院大学の 矢部せんせいの説。
 http://www.sankei.com/west/news/131117/wst1311170012-n1.html





 その記事でも出てくる「御湯殿上日記」をさっそく原作で読んでみましょう!



  文禄4年7月16日の項は


続群書類従 補遺 第三の第八 にあります。



『 十六日 はるヽ。御とうろうの返しあり。めでたしめでたし。しゆこうより御としちかへのかちん。 御まな。御たるまいり候て御さか月まいる。しゆこう。女御。女中。御はんしゆみなみな。御いわゐあり。めでたしめでたし。

 くわんはくとのきのふ十五日のよつ時に御はらきらせられ候よし申。むしちゆへかくの事候のよし申なり。』





  前半部分は、なんかお祝いごとがあったらしくめでたしめでたしです(笑)



 ところが、関白殿、昨日十五日の四つ時に



御腹きらせられ候


とあります。


むしち


 は 、横に漢字がふってあって漢字で書くと「無実」なんだって!!!



無実なのに、御腹をお切りになられた



というのが通常の古文の訳ですから、この日記を書いた宮中の女官たちの間では、




「まあ、 関白殿きのう、お腹をお切りになられたらしいわよ!」


「無実だからこそ、そんなことしたんだって。かわいそう・・・。」



という会話があったということなのですね!!!!!





 この説では、むしろ「秀次が勝手なことをしたので、秀吉がそのことに対して激怒して、皆殺しした」という感じになっているので、




 もしかすると明日の真田丸でも、そんなイメージでお話が進行するのかもしれません。




  源次郎や、きりちゃんの心の痛みようが、じりじり伝わってきそうな、明日が待ち遠ししです!!!





2016年7月8日金曜日

NHK大河ドラマ 「真田丸」を原作で読もう! 真田丸ファンのための”原作”軍記物一覧

 こんにちは


 毎週欠かさずに見ているNHK大河ドラマ「真田丸」ですが、ハマってしまって大変です
(><;


 歴代こんなにおもしろい(あるいは、おもしろおかしい)大河ドラマはなかったように思います。


 さすがは脚本を書いておられる三谷さんの腕前なのかな〜、と思って、そういえば原作ってどうなってるんだろう?の謎が深まり・・・。




 というわけで、今回は「真田丸」の原作、出典に当たるだろうと思われる軍記物をリストにしてお届けします。


 数々の名場面がどうなっているのか、ぜひ原典を読んでみてくださいな。





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<前半部分・真田家周辺>

 
 『加沢記』・・・沼田藩右筆の加沢平次左衛門による真田三大記 北条征伐まで

  国立国会図書館デジタルコレクション 加沢記 附羽尾記
  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020961?tocOpened=1





 <徳川家からの視点>


 『三河物語』・・・大久保忠教著 戦国時代から江戸初期までの徳川家伝記

  国立国会図書館デジタルコレクション 三河物語1
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/773094

 2
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/773095


 3
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/773096





<北条氏>


 『北条五代記』・・・三浦茂正著 後北条氏逸話集

 国立国会図書館デジタルコレクション 史籍集覧 第5冊
  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3431172




 <後半 秀吉中心になってから>




 『川角太閤記』・・・川角三郎衛門著 秀吉逸話集

 国立国会図書館デジタルコレクション 川角太閤記 上
  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/899814


  下
  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/899815
 


 『太閤記』

 国立国会図書館デジタルコレクション 改訂史籍集覧 第6冊
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3431173

 


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 こうした古典資料に加えて「真田丸」の考証については


 丸島和洋さんのツイッター
 https://twitter.com/kazumaru_cf


で、裏話がたくさん流れてくるので参考になります!






 また、新しい資料をみつけたら追加しますね!



2016年6月27日月曜日

真田丸で読む「世界の政治経済」 ~英国のEU離脱は、まるで真田丸の世界~

 イギリスが、EUから離脱することを決めた、と大騒ぎになっていますが、eineはそれほど世界史が得意ではないので、「世界の重大事件」なのに、意外とポカンと口をあけてTVのニュースを見ています。


 とりあえず、「EUからイギリスが抜けたいらしい」はわかりますが、でも「スコットランドは離脱に反対」だというので、まるで


 賛成の反対なのだ~。バカボンパパ。


みたいになってます(^^;




 あ、そういえば世界史で、イギリスという国は実は無くて、なんか3つか4つくらいの国が合体している「連合王国」だって聞いたな、と思い出したのですが、そういうことを思い出して見ると、




 こ、これって真田丸じゃん(はあと)



ということがわかりました(笑)





 というわけで、「歴史まにあ」ブログとしては、英国のEU離脱を「真田丸」で読み解いてみたいと思います。






【1】 グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国は、つまり信濃小県地方。


 イギリス、といえばひとつの国のようですが、実は4つの国から出来ていて、「イングランド」「ウェールズ」「スコットランド」「北アイルランド」のそれぞれの旧領主が合体して国を作っているそうです。


 真田丸前半では、草刈パパはまだ「信濃小県地方の小領主の一人」でした。



 なので、真田パパ・ 出浦さま、室賀さまなど、豪族が何人かいたわけです。

 厳密には、矢沢のおじさんとか、きりちゃんのお父さんの高梨さんとかも、小領主です。



 それらが、最終的に「真田氏」を中心にまとまっていったのが真田丸の世界。

 一方、「エリザベス女王」を中心にまとまっていったのがイギリス、とすればわかりやすいですね!





 【2】 EUは、「秀吉に恭順して」統一された天下のこと。


  真田パパもずーっと渋っていた「信長や秀吉に従う」こと。でも、「戦無き世」を求めて、また大きな力に引きずられる形で、最終的には上洛して秀吉に従います。


 「滅ぼされない」ということはつまり、「メリットがあるから秀吉に従った」わけで、EUのみなさんも経済的なメリットを信じて合体したということですね。


 でも!


 その分、「本来の領主としては主権を発揮できない(秀吉の言うことを聞かなくてはならない)」わけで、これはEU諸国も、大名たちもおんなじです。


 だとすれば、北条氏のように


 「やっぱり自分たちは独立して物事を決めたい!」


と思う一団が現れても、おかしくはありません。それは経済的なメリットとは別の問題なのです。


(北条氏も、秀吉が優勢なのにあえて逆らっちゃいましたので。感情的な部分だったのか、それとも目算があったのかはわかりませんが)





  【3】 現代は移民問題。戦国~江戸時代は「転封」問題があった。


 現代のEUの問題は、人の移動の垣根がなくなって、豊かな地方に貧しい地方の人たちが移動することでちょっとややこしいことになっています。


 戦国時代の大名たちは、それとはちょっと違いますが「転封」があり、天下統一のせいで転勤させられることがありました。


 たとえば家康。真田丸ではさっそく「静岡」地方から「東京」へ移動させられています。一昨年の軍師官兵衛では、黒田家は姫路から九州へと移動させられました。


 現代のEUの人々は、「それぞれの領土にそれぞれの人がいてくれたら、自分たちに損益がかぶってくることはないのに」と思っています。

 戦国時代の大名は「それぞれの自分たちの領地を安堵してほしい!」と思っています。


 話は違うようで、実は関係あるんですね。






 さて、EU離脱を選んだ英国の人たちは、これからしばらく「篭城戦」ということになるのでしょうか?!


 真田丸では、せっかく統一された天下が、再び乱世へと逆戻りします。


 ヨーロッパも、そうなるのか?!!!


2016年6月6日月曜日

真田丸に「風魔小太郎」が出ないかな〜と期待します。(出ないだろうね) 真田丸と忍者のお話。

 日本全国1億人の「真田丸」ファンのみなさまこんにちは。

 回を追うごとに!と言った方がよいと思いますが、ネット界隈でも大人気のNHK大河ドラマ、真田丸。


 放送日には、BS版6時からと地上波8時からツイッターも関連ツイートで溢れかえるという楽しい日曜日が恒例となってます(^^



 ああ、このままでは真田丸が終わっちゃったら、「真田ロス」になりそうなことったらありゃしませんが、 もうそんな心配をしないといけないほど・・・・。





 ところで、史実とは違いますが、「真田幸村と言えば、真田十勇士」というこれまでのイメージを大事にして、NHK大河真田丸にも、


 いかにも忍者っぽい、佐助


という人物が登場しています。これはもちろん、十勇士の中の「猿飛佐助」をモチーフにしているのですが、甲賀流忍者の猿飛佐助だけでなく、十勇士には伊賀忍者の霧隠才蔵なども登場しますので、忍者感満載ですね!




 一方大河ドラマでは、われらが出浦さまも、忍者っぽく描かれています。手裏剣を投げるシーンなんかも登場しました。




 出浦昌相こと出浦盛清は、清和源氏村上氏の出で、村上義清から武田氏に仕え、のちに真田氏の家臣になります。


 松代藩の家老である河原綱徳が記した『本藩名士小伝』には、出浦さんは「甲州透破」の棟梁であると書かれているらしいので、やっぱり忍者だったのでしょうか?!




 「甲州透破(こうしゅうすっぱ)」
 


 とは、武田氏が用いた忍者集団です。武田氏はこの忍者たちを使って敵方を撹乱したのだとか?!






 ところで、伊賀忍者VS甲賀忍者のように、甲州透破にもライバルがいます。



 それが



  相州乱破(そうしゅうらっぱ)



と呼ばれた、 風魔小太郎率いる忍者たちです。




 風魔小太郎たち「風魔一族」こそ、真田十勇士のようなフィクションの存在ではなく、風魔一党は



実在の人物



(とされている?)なので、ぜひぜひ!真田丸に登場してほしいですね。



 風魔一党は、もともとは「風間」と言いましたが、いつしか風魔と呼ばれたというところもミステリアス!


  北条氏に100年もの間仕えていたというので、絶対北条氏政の近くにも控えているはず!


 
  その風魔一族も、北条氏滅亡によって、盗賊となり、1603年に徳川家に捕らえられて滅ぼされたという話もあるそうです。


 

 
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 そういえば、NHK大河真田丸にはもう一人重要な忍者が出てましたね!


 伊賀越えのあたりで役に立ったんだか立たないんだかよくわからないキャラだった


 服部半蔵



さまです。もう誰がやってたか忘れた人は、リンクをちぇーっく。


http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/cast/hattori_hanzo.html 


↑あー、いたいた。思い出した!


 
 実はこの服部半蔵家が一番長く続いて、明治になるころには桑名藩の家老だったそうです。


 ぜひ、服部半蔵さんも、再び登場を願ってます!

2016年5月31日火曜日

”真田丸×リーガルハイ!”になりそうな、沼田城をめぐる裁判シーンはどうなるの?

 先日の日曜日のNHK大河ドラマ真田丸、第21回放送は


「戦端」


ということで、沼田城の領有権を巡って、北条氏と真田氏が争う・・・しかし、それは秀吉の前で裁判をして!


という展開でした(^^



 沼田城が誰の正当な持ち物か、という点はたしかにややこしくて、ある時期まではたしかに北条氏が制圧していましたが、真田パパは「北条氏に従います〜」というフリをしている間に沼田を手にいれて、その後、



そのまま上杉へついてしまう!




という無茶をやったので、揉めたのです。ああ、やっぱり草刈パパが悪いのね!(笑)




 それはともかく、領有権が揉めてしまった以上は、秀吉が仲裁して・・・という流れになっているわけですが、いよいよ次回は、




戦国版リーガルハイ!



が開催される模様!




  
 ・・・このお話。結論から言うと、さらに揉めます(苦笑)



 秀吉の裁定は、沼田は北条方のものとして、沼田城代に 猪俣邦憲を入れるのですが、ところが、この猪俣氏、勢い余って沼田の支城だった


名胡桃城



まで攻めてしまったので、この城は真田のもんじゃい!と話がややこしくなります。




 なんと、これが引き金になって、かの有名な「小田原征伐」がはじまってしまい!さらには



のぼうの城



で、野村萬斎が踊りだすハメになるとは、誰も想像がつきません(^^;


(忍城は小田原の支城でしたので)








 さて、というわけで。

 この場面、「加沢記」ではどうなってるかを見てみます。


テキスト打ち直すのめんどくさいので、近代デジタルライブラリーより該当画面をパチッとな。


出典 近代デジタルライブラリー「加沢記」
 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020961


 コマ68

「秀吉公御扱を以って、北条殿と昌幸公和談 付所々城代の事」




eine的に要約しまーす。


「北条殿が上洛しないので秀吉は、不審に思って、『いてもうたろうか、われ』と思っていたのだが、家康がいろいろと根回ししたので、北条氏照が上洛した。

でも、細かい領地の境目とかそんな話があるので、北条の老家臣である(板部岡)江雪斎が上洛して、 いろいろごにゃごにゃ言った。」


「そこで、秀吉は実況検分役を使わしたところ、大泉源三郎信幸とか、矢沢のおっちゃん(”沼田は渡さん”とずっと言ってるおじさん)とか 、出浦☆進とか(かっこいい!)が飲み食いさせて、領地をどこそこで区切ることがまあ、決まった」


「ようするに、名胡桃城から3分の1は、真田領、それ以外の3分の2は北条領、ということで両者は和睦したので、秀吉の使いは帰った」


「それから、誰をどこに配置するか、いろいろ采配したよ」



というお話。




 あれ?!



 源次郎のリーガルハイは!!!!



 えーっと、三谷さんの脚本が、日曜日にどうなるかはさておき、加沢記的には、




 頑張ったのは、大泉お兄ちゃんと、矢沢のおっちゃんと、出浦さん



みたいです。 あれれ?!

 

 

2016年5月6日金曜日

【名所】 明石城へ行ってきました! 櫓公開で大興奮!

 こんにちは


 GWは、遠出しようかと迷ったのですが、あえての姫路城ではなく、ちょびっとマイナーな明石城に行ってきました!



 明石城は、明石駅からすぐ歩いていけるし、公園にもなっているので遊びに行くにはもってこいですが、「お城」としては、天守がなく、いわゆる見どころが少なそうなので、城郭好きさんには物足りないかもしれません。



 でも!



 今回のGWでは、櫓の中が公開されていたりして、かなり楽しめました。






 こちらは坤(ひつじさる)櫓。






 赤い格子が見えますか?!



 こちらの面は、千鳥破風と唐破風が合体したような構成になっています。




 なんでも、この櫓凝った造りになっているのは「伏見桃山城」からの移築だからだそうです。


 なので、「秀吉」が好んだデザインになっているのだとか(^^





 






 さて、やぐらの上部には上がれなかったのですが、内部が特別に公開されていて、いろいろな資料を見ることができました!







 

 特に、古瓦が多数展示されていて、元城主の小笠原氏の「三階菱」の家紋が入った鬼瓦などを堪能(^^


 実はこの坤櫓、明石城では天守が作られなかったので、ほぼ天守の代わりとして用いられていたようです。



 なので、デザインや格式がちょっと頑張ってる感があるのかもしれません。








 一方、こちらは現存する櫓のもうひとつのほう「巽櫓」です。やっぱり坤櫓よりかは、格式が下というか、ちょっとだけチャちい感じが(^^;;



 その代わり、この付近には展望台があって、明石駅方面を見渡すことができます。



 歴史好きとしては、復元された塀の造りが気になって、思わずパチリ。


 


 しっくいの塗り固め具合が、かの姫路城の復元工事を思い起こさせます!!


 (景色より、しっくい?!)


 

 というわけで、明石城は、天守こそないものの、城郭や城壁はなかなか味わい深いので、ぜひ姫路城と比べながら訪れてみてくださいね〜。




2016年3月22日火曜日

「黙れ小童!!!!」 真田丸の室賀さんがもう見られないので、加沢記読んじゃいます!

 NHK大河ドラマ、「真田丸」の「祝言」の回。今回もドキドキハラハラ、笑いあり、サスペンスありの神回でしたが、ひとーつだけとっても重要なことがあります。



 それは!


 それは!!!


 ”黙れ小童(こわっぱ)”で日本中の真田丸ファンを沸かせてくださった







 室賀どのが死んじゃった!!!!







 ことです。しくしく(><;)





 というわけで、”歴史まにあ”なこのブログとしては、室賀殿こと「室賀正武」さまを偲んで、あえての


『原作で読みたい大河ドラマ』


ということで、いつものやつ、やっちゃいます。






近代デジタルライブラリーさんより、 加沢記
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020961


「室賀合戦のこと」(59コマ)


はじまりはじまり!!!





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  時は天正11年。家康から信濃一国を領土として認められようとしていた室賀どの。一方、信濃の国中を従えようとしていた真田阿波守は「室賀を討つ」と、室賀の城へ押し寄せて一発かませます。

 ところが、この時の戦いでは勝敗が決せず、「講和」ということになってしまいます。

  しかし、そこはわれらが室賀どの。けして真田阿波守の家臣になったわけではなかったのでした。



 室賀入道、真田に屈することを無念に思ひ、翌天正十二年申の六月、高井彦右衛門尉を以って遠州へ申し上げければ、家康公より何卒真田を打つべしと仰せ越せられければ、入道不斜悦び、禰々以て上田へ見舞懇切しけり。


 室賀殿は、天正12年に、家臣を遠江の家康の元へ遣ると、家康より「真田を討て」という命令をもらい、超喜んだのです。





 或時上方より囲碁の上手上田へ来りければ、室賀入道を招請有ければ入道能時節と心得、日限を定められて同苗孫右衛門を以て来月七日真田が居城へ其会に参候、其時昌幸を討取らんと存候間、御加勢被下候様にと鳥居氏の方へ申し遣しけれども、孫右衛門内々房州へ志を通じたりし故、直に上田に来り此由申しけり。



  あるとき、関西から囲碁の名人が上田に来たというので、室賀殿は「これはチャンスだ」と考え、日時を決めて「囲碁の会」の折りに昌幸を討ち取ろうと策略し、同族の室賀孫右衛門にその段取りをさせようとしていたのですが、孫右衛門は、真田側に通じており、そのまま上田に行って暗殺計画を漏らしてしまったのです。




  昌幸公悦び、孫右衛門を馳走してぞ帰しける。入道仕済したりと思ひ、家の子桑名八之助、相澤五左衛門尉、堀田久兵衛など相随ひ上田へ被参りければ兼ねて用意の事なりければ書院に招請して囲碁をぞ始めける。

 

 真田昌幸は、孫右衛門の報告を喜び、充分に労って帰しました。室賀殿は、「これで準備は整った」と思い、家臣などを連れて上田へ現れ、用意の通り囲碁を始めたのでした。




 其時、長野舎人木村戸右衛門討手に極め、相圖は禰津宮内太夫麻利子藤八郎、長命寺、安楽寺なり。長野木村次の間より太刀抜き出、室賀兵部太夫を無情も殺しけり。桑那相澤堀田聞より早く殿中に切入って散々に戦ひける。縦令三項羽が勇を顕したりと雖も、多勢の敵に取巻かれ、遂に生け捕りにぞ成りにける。右三人後には心を変じて真田に仕へ、無二の忠をぞ尽しける。此時八之助深手を負ふ。さて室賀にては此由を聞き妻子共取者も不取敢早々甲州へ落行ける。



  その時、真田側の長野と木村が隣の部屋から乱入し、室賀殿を無情にも殺してしまったのです。室賀殿の従者の三人も、これを聞きつけ戦いましたが、大勢に取り囲まれてついに生け捕りにされてしまったのでした。

 この三人はのちに心を入れ替え、真田の忠実な家臣となったのですが、室賀の国もとでは、妻子や関係者はみな、取るものもとらずすぐに甲斐の国へと逃げてゆきました。





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 とまあ、原作ではこんな感じです。



 真田パパは、何をしとったんか全然出てこないし、愛しの出浦様も




 まったく出てきません!!!!!




 ましてや、きりちゃんは姿形もありません!!!!




 なーんて(^^



 
  大河ドラマ、真田丸での「祝言」シーンはなかったですが、「囲碁ネタ」は本当だったのね!ということがわかったところで、ちょっと満足ですね!