こんにちは。
京都新聞さんに、おもしろい記事が載っていたので、思わずメモめも。
発祥伝承地で豆まき復活 京都・深泥池貴舩神社
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20160202000080
ん?発祥伝承地ってどゆこと?と思ってよく読んでみると、まず、豆撒きというのは、私たちのあんまり知らない、
京都、上賀茂の奥のほうにある ”深泥池貴船神社”
というところが発祥なんだそうです。
ちなみに、「貴船」という名前でピンとくる方もたくさんおられると思いますが、この神社は、京都の鞍馬にある「貴船神社」の分社なのだとか。でも、ちょっとややこしいのですが、深泥池の貴船神社は、江戸時代になって分社されているので、豆撒きが江戸時代に始まったというには遅すぎですよね。
豆撒きそのものは、平安時代からある風習なので、話が合いません。
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というわけで、ちょびっと解説を。
まず、豆撒きそのものは、やっぱり鞍馬の本家「貴船神社」に関係があります。
その貴船地域から、今回話に登場する「深泥池」まで何か抜け穴というか、不思議な地下通路がつながっている、という伝説がまず存在するところがポイントです。
深泥池に、のちに貴船神社の分家さんができるのは、そういう元ネタがあるからなのです(^^
さて、 その抜け穴を通って、貴船地区から深泥池まで鬼がやってきて、鬼が穴から出てくるので、その穴に向かって豆を投げてふさいでしまおう、というのが本来の豆撒きなのだそうです。
あるいは中世の御伽草子「貴船の本地」では、
(京都大学図書館蔵 きふねの本地)
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/otogi/html/c26.html
”節分の日に現れた鬼を、煎り豆で目を狙って打って退散させる”
という話が出てくるので、これも豆撒きの発祥とされています。
しかし、どちらも”鬼は鞍馬と関係ある”ことになっているので、このあたりは気になりますね。
のちに天狗も鞍馬にいることになってますので、鞍馬という山は異境だったのでしょうか。
京都の奥といえば、丹後方面の”大江山の鬼”や酒呑童子の話も有名ですが、やっぱり昔の人にとって山奥は恐ろしいところだったのかもしれません。
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