2016年3月22日火曜日

「黙れ小童!!!!」 真田丸の室賀さんがもう見られないので、加沢記読んじゃいます!

 NHK大河ドラマ、「真田丸」の「祝言」の回。今回もドキドキハラハラ、笑いあり、サスペンスありの神回でしたが、ひとーつだけとっても重要なことがあります。



 それは!


 それは!!!


 ”黙れ小童(こわっぱ)”で日本中の真田丸ファンを沸かせてくださった







 室賀どのが死んじゃった!!!!







 ことです。しくしく(><;)





 というわけで、”歴史まにあ”なこのブログとしては、室賀殿こと「室賀正武」さまを偲んで、あえての


『原作で読みたい大河ドラマ』


ということで、いつものやつ、やっちゃいます。






近代デジタルライブラリーさんより、 加沢記
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020961


「室賀合戦のこと」(59コマ)


はじまりはじまり!!!





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  時は天正11年。家康から信濃一国を領土として認められようとしていた室賀どの。一方、信濃の国中を従えようとしていた真田阿波守は「室賀を討つ」と、室賀の城へ押し寄せて一発かませます。

 ところが、この時の戦いでは勝敗が決せず、「講和」ということになってしまいます。

  しかし、そこはわれらが室賀どの。けして真田阿波守の家臣になったわけではなかったのでした。



 室賀入道、真田に屈することを無念に思ひ、翌天正十二年申の六月、高井彦右衛門尉を以って遠州へ申し上げければ、家康公より何卒真田を打つべしと仰せ越せられければ、入道不斜悦び、禰々以て上田へ見舞懇切しけり。


 室賀殿は、天正12年に、家臣を遠江の家康の元へ遣ると、家康より「真田を討て」という命令をもらい、超喜んだのです。





 或時上方より囲碁の上手上田へ来りければ、室賀入道を招請有ければ入道能時節と心得、日限を定められて同苗孫右衛門を以て来月七日真田が居城へ其会に参候、其時昌幸を討取らんと存候間、御加勢被下候様にと鳥居氏の方へ申し遣しけれども、孫右衛門内々房州へ志を通じたりし故、直に上田に来り此由申しけり。



  あるとき、関西から囲碁の名人が上田に来たというので、室賀殿は「これはチャンスだ」と考え、日時を決めて「囲碁の会」の折りに昌幸を討ち取ろうと策略し、同族の室賀孫右衛門にその段取りをさせようとしていたのですが、孫右衛門は、真田側に通じており、そのまま上田に行って暗殺計画を漏らしてしまったのです。




  昌幸公悦び、孫右衛門を馳走してぞ帰しける。入道仕済したりと思ひ、家の子桑名八之助、相澤五左衛門尉、堀田久兵衛など相随ひ上田へ被参りければ兼ねて用意の事なりければ書院に招請して囲碁をぞ始めける。

 

 真田昌幸は、孫右衛門の報告を喜び、充分に労って帰しました。室賀殿は、「これで準備は整った」と思い、家臣などを連れて上田へ現れ、用意の通り囲碁を始めたのでした。




 其時、長野舎人木村戸右衛門討手に極め、相は禰津宮内太夫麻利子藤八郎、長命寺、安楽寺なり。長野木村次の間より太刀抜き出、室賀兵部太夫を無情も殺しけり。桑那相澤堀田聞より早く殿中に切入って散々に戦ひける。縦令三項羽が勇を顕したりと雖も、多勢の敵に取巻かれ、遂に生け捕りにぞ成りにける。右三人後には心を変じて真田に仕へ、無二の忠をぞ尽しける。此時八之助深手を負ふ。さて室賀にては此由を聞き妻子共取者も不取敢早々甲州へ落行ける。



  その時、真田側の長野と木村が隣の部屋から乱入し、室賀殿を無情にも殺してしまったのです。室賀殿の従者の三人も、これを聞きつけ戦いましたが、大勢に取り囲まれてついに生け捕りにされてしまったのでした。

 この三人はのちに心を入れ替え、真田の忠実な家臣となったのですが、室賀の国もとでは、妻子や関係者はみな、取るものもとらずすぐに甲斐の国へと逃げてゆきました。





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 とまあ、原作ではこんな感じです。



 真田パパは、何をしとったんか全然出てこないし、愛しの出浦様も




 まったく出てきません!!!!!




 ましてや、きりちゃんは姿形もありません!!!!




 なーんて(^^



 
  大河ドラマ、真田丸での「祝言」シーンはなかったですが、「囲碁ネタ」は本当だったのね!ということがわかったところで、ちょっと満足ですね!