前回のNHK大河ドラマ真田丸「犬伏の別れ」の回は、大泉さん演じる真田信幸兄の「見せ場」となったすばらしい回でした。
いつも振り回されっぱなしのお兄ちゃんが、
「わたしは決めました!」
と、一世一代の啖呵を切りながら、それが引いては真田家の長男らしく、
「真田一族の命運を握る決断」
になっているところが、とても格好良かったです。
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でも。でもでも。
ショックです!!!
あんなにすばらしかった「犬伏の別れ」がどうやら後世の創作のようで、
史実じゃない?!
かもしれないなんて!!
というわけで、今回の「原作で読もう真田丸」のコーナーは、同時代資料はないので、なるべく古そうな記述から見る真田親子の別れについて調べてみました!
■上田軍記 (「蕗原拾葉」2輯)
蕗原拾葉は、江戸時代後期に中村元恒という人が信濃に伝わる古い資料を集めたもので、150巻に及ぶ古文書の収集資料です。
その中から、上田合戦に関わる部分をチョイスしました。
国立国会図書館デジタルコレクション版は
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1116474にあります。17コマ
”後之上田陣起之事”
と題して物語はスタートします。
慶長5年に、上杉が会津から上洛してこないので、反逆があるのではないかと家康が上杉征伐に向かい始めた所まではドラマとおんなじ(^^
ただし
”昌幸父子三人も此時家康公の供奉として関東へ下向ありしところに”
三成が兵を起こしたことが書状が届いて知ることになります。
そして、三成からの手紙の引用があって 、つぎに三成方の将兵リストがあって、真田親子がどうしたかが書かれています。
☆ まず、治部さまからの手紙がちょっとキュンキュンします。
宛名欄の最後、追伸欄に
”八月五日
真田房州
同 豆州
同 左衛門介殿
人々御中
夜中に相調候間落字如何無心元候以上”
って三成さまが書いているのですが、
「夜中に急いで書いたので、誤字など間違いがあるかもだが、許してくれ」
っていう言い訳が、緊急な様子と治部さまらしい人間味が出てて涙でます!!!
☆ついでに犬伏の別れと関係ないけど、武将リストがときめくので引用しますね。
(詳細は、配置人数も載っています)
” 三口への(中略)人数備えの覚
伊勢口
安芸中納言殿
秀家
筑前中納言
土佐侍従
大津宰相
立花左近
久留米侍従
筑紫主水
龍造寺
脇坂中書
堀内安房守
羽柴下総守
城加番
山崎右京
蒔田権之助
中居式部少輔
長束大蔵太輔
美野口
某石田治部
岐阜中納言一手
羽柴右京・稲葉彦六
羽柴兵庫頭
小西摂津守
同 与力衆四人
稲葉摂津守
北国口
大谷刑部少輔
若狭少将 同宮内少将
丹後七頭衆
但馬二頭衆
木下山城守
播磨姫路衆
越前東江衆
戸田武蔵守
福原右馬允
溝口彦三郎
上田主水正
寺西下野守
奥山雅楽頭
・・・・・・” 以下略します。長いから。
秀家(呼び捨て的な)とか 某石田治部 とか、萌えますね〜。
ちなみに、戦国時代には、官位もつけず名前呼び捨てが「一番敬意のこもった表現」なんだそうで。
宇喜多さまがNO.1ってことですね。関ヶ原では、安芸中納言(毛利輝元)をかつぐ形で総大将にするので、本当の意味での主力メンバーが
”呼び捨て”秀家と某(笑)石田治部
ってところがやたらリアルです。
毛利輝元にだけ”殿”がついているのも、心をくすぐりますwww
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話がとってもずれました。
肝心な真田親子の別れの部分です。では読んでみましょう。
”
如是に石田三成が方より謀書を送りければ、昌幸深く思慮を廻し父子の間を引分れて信州上田の城へ引返して籠城ありけり。”
・・・え?
・・・それだけ?
・・・犬伏の別れは?!
・・・おまけに、信幸おにいちゃんの覚悟は?!
・・・あっさりすぎるやんけーーーー!!!
というわけで、たぶんパパは相変わらず計略を巡らし、おにいちゃんは嫁とか舅のこととかいろいろで、離脱したのだと・・・。
てへぺろ。
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