NHK大河ドラマ「真田丸」はいよいよ2話を終えて視聴率も20%を越えてきたそうですが、私も毎週楽しみに見ています(^^
その真田氏の最期に関わるちょっと不思議な話が、週刊朝日さんに出ているそうで。
下家19代当主・木下崇俊「大坂の陣で殺された豊臣秀頼の遺児が生きていた?」〈週刊朝日〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160119-00000002-sasahi-peo
出典はdot.さんから。
大阪夏の陣で豊臣家は滅び、秀吉の子秀頼も母の淀君と自害した、とされているわけですが、実は真田氏の手引きで秀頼の子「国松」が九州へ逃げたのではないか?という説が、実はかなり信憑性が高そう、というお話。
まさか、NHK大河ドラマではその説で物語が進むことはないと思いますけど、
♪「花のようなる秀頼様を、鬼のようなる真田が連れて、退きも退いたよ鹿児島へ」
という童謡が、当時の京では流行したとかしないとか(^^
今回の朝日さんの記事にもありますが、秀頼あるいは国松は、真田氏の手引きで大阪を脱出。その後、薩摩に入ったとか、あるいは大分に定着したなどの伝説が生まれています。
ポイントになるのは「豊後国日出藩」をおさめた木下氏で、日出藩初代の木下延俊の次の代になるときに
1)父は遺言で二代藩主、木下俊治に2万石で、弟の延由に1万石を譲ろうとしたが、計3万石しかないなかでのその分領は、ありえないくらいの高待遇だった。
2)家臣の機転で、結局5000石に分領は落ち着いたが、1万石だと幕府に目をつけられるので、家臣はわざと5000石に下げた。
3)幕府には「延次」が分領されたと嘘の報告をしている。父の遺言を聞いた家臣は、相続がすべて終了したのを見届けて自害した。
ということがあったようで、これらはすべて
”延由は実は国松だったのではないか”
ということの裏返しのようです。
延由が国松だったとすると、木下延俊が破格の待遇で領地を分けようとしたことや、家臣が主君の命に背き、かつ国松の安泰を見届けてから詫びて切腹したこと、木下藩がうその報告をあげていること、などの説明がつくそうです(><
Wikipedia 木下延由
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E4%B8%8B%E5%BB%B6%E7%94%B1
これが本当だとすると、かなりのミステリーですね!!
ちなみに、こちらには、「木下家」の当主がどんな言い伝えを聞かされてきたかがじっくり紹介されていますよ!
「敗軍の将」の末裔が明かす大名家に伝わる極秘の言い伝え
http://dot.asahi.com/wa/2015082800017.html
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